鴉の独りごと
2024-03-19T06:47:51+09:00
clarte9
ふと気がついたら、あとがない! お気楽キリギリス夫婦の 『傍の細道』 散策フォト。 (C)2005-23 SUZUKA All rights Reserved.
Excite Blog
清涼寺(嵯峨釈迦堂) -2- 五百羅漢図
http://clarte.exblog.jp/29977054/
2024-03-19T00:00:00+09:00
2024-03-19T06:34:24+09:00
2024-03-17T13:40:22+09:00
clarte9
京都
2024/2/25 撮影。
伽藍は三度焼け落ち、現在の堂宇は徳川家の支援により再建されたそうです。
本堂に入って、東側の廊下には、桂昌院ゆかりの品が展示されています。
そして本堂の西側には、
豊臣秀頼公の首塚と大坂の陣諸霊供養碑があります。
見たときは驚いたのですが、
1980年、大坂城三の丸の発掘調査で発見され
三年後、再興につくしたゆかりのあるこの地に埋葬されたのだそうです。
この日は、雨の中二度も道に迷い、
待ち合わせに遅れまいと消耗した後だったのですが
ふと、ぴぴぴっと呼ばれるものが。
ご本尊の左手、十幅の羅漢図が架けられていたのです。
法眼一信 五百羅漢図 下画 紙本著色 十幅 京都府・清涼寺蔵
小学館刊: 安村敏信 山下裕二監修「狩野一信 五百羅漢図」(2011/3/15)より
すぐそばに寄って見られるのです。
わらわらと逃げていく妖鬼のリアル感、
羅漢さんたちは、かなり不気味。
じっくり見ておけばよかったと
あとでこそ思いますが、なかなかに濃厚でもあって。。。
帰宅して調べたところ、おいそれとみられるものではありませなんだ。
狩野一信 五百羅漢図安村 敏信,山下 裕二,安村 敏信,山下 裕二/小学館undefined
五百羅漢-増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信
図書館から借りて閲覧しましたが
現地でみた十幅の印象がはんぱない。
やっぱりなまで見たからでしょう。
あと、下画ゆえの力もあるのかと思います。
見られてよかった。
道迷いも、おいでおいでだったんでしょう。きっと。
]]>
清涼寺(嵯峨釈迦堂) -1- 雨と梅
http://clarte.exblog.jp/29977053/
2024-03-18T00:00:00+09:00
2024-03-19T06:47:51+09:00
2024-03-17T13:39:35+09:00
clarte9
京都
2024/2/25 撮影。
源融は、光源氏のモデルと目されている人ですが
その山荘「棲霞観」が、没後「棲霞寺」となり
のちに釈迦如来像が安置されて「清涼寺」となります。
物語で明石の君が移り住んだのはおそらく大堰川の近く
そこからほど遠からぬ御堂が実在したとなると
当時の読者はさぞワクワクしたことでしょう。
一枚目、雨の降りしきる仁王門
二枚目、回廊。
三枚目、阿弥陀堂
清涼寺(嵯峨釈迦堂)
]]>
スノームーン 渡月橋
http://clarte.exblog.jp/29969707/
2024-03-17T00:00:00+09:00
2024-03-18T08:05:24+09:00
2024-03-15T17:48:58+09:00
clarte9
京都
2024/2/24 撮影。
滞在中、唯一晴れた日が 偶々満月でした。
「くまなき月の渡るに似る」
を体験できる 千載一遇のチャーンス!
夕食後、嵐山駅付近から歩きだします。
どんなだったか想像しながら
橋よりやや上流まで来ました。
こんな感じ?
月を見ながら、橋を渡ってみます。
嗚呼・・・・
一緒に月が渡ってるようです。
こういうことだったんだ。
すでにほろ酔いだったので即、帰還。
まだまだお外は寒い。
]]>
鯉明神 亀岡大井神社 -3-
http://clarte.exblog.jp/29959207/
2024-03-16T00:00:00+09:00
2024-03-18T06:35:16+09:00
2024-03-13T15:58:12+09:00
clarte9
京都
2024/2/25 撮影。
大井神社の沿革によると、710(和銅3)年に創建とあります。
亀岡の歴史は、旧石器時代に始まり、
6世紀には盆地最大の千歳車塚古墳も作られていました。
伝承によると、湖だった亀岡盆地が乾き、
残った大いなる井戸から「大井」の名がついたと。
別当寺の名残の太鼓橋の下に、神池(丹の湖)のなごりが残っている、と。
・・・・・
ちらっとしか見てこなかった!
もちろん、写真も!
なにより、神社名に大井川がダイレクトに関係してなかった!!
事前に公式サイトもチェックしていて、これです。
お社から臨む愛宕山は穏やかです。
余談ですが、
亀岡の名は、1869年明治政府により変更されています。
丹波亀山と伊勢亀山との重複を避けるためだそうですが
戊辰戦争のときの嫌がらせ?
1577年、明智光秀の亀山城築城が
亀山の名が確認される最初とのことですが。
そもそも奈良時代以前から人々の往来があり、
要所とされまた伝承の残る土地。
元々は、どんな名であったのでしょう。
]]>
鯉明神 亀岡大井神社 -2-
http://clarte.exblog.jp/29959198/
2024-03-15T00:00:00+09:00
2024-03-15T00:05:03+09:00
2024-03-13T15:56:25+09:00
clarte9
京都
2024/2/25 撮影。
境内には、天満宮のほか稲荷社、七つの末社が並び
その中央に、かつて別当寺だった東光寺の阿弥陀仏が祀られていた。
この位置に据えられたのは、2009年。
それまでは、北西の隅に置かれていたという。
古い寺社も、かつてのままの姿ではないのだと
廃仏毀釈の無残を、此の地にきて思う。
大井神社境内案内
]]>
鯉明神 亀岡大井神社 -1-
http://clarte.exblog.jp/29959179/
2024-03-14T00:00:00+09:00
2024-03-14T19:45:56+09:00
2024-03-13T15:51:47+09:00
clarte9
京都
2024/2/25 撮影。
日曜日 嵯峨野嵐山発園部行は、9:16と9:50の二本だけ。
亀岡駅の先は、ぐっと連絡の難易度があがります。
予報通り雨。
境内には誰もいません。
丹波 亀岡大井神社
]]>
大井神社
http://clarte.exblog.jp/29946774/
2024-03-13T00:00:00+09:00
2024-03-18T11:49:01+09:00
2024-03-09T11:31:31+09:00
clarte9
京都
2024/2/23 撮影。最後の一枚のみ2/24、京都府道29号線側より。
渡月橋からふと振り返ると、店に挟まれた鳥居に気づきました。
近くに行ったのですが、なぜか行き止まりのように感じて
そのままになっていました。
でもやはり気になって
水たまりや自転車、その他もろもろをを突破すると
奥にちゃんとお社があった。。。。。
雨のなか参拝される地元の方もいらっしゃいました。
てっきり上流、亀岡の大井神社と関係があると思ったのですが、
早とちりだったようで
野宮神社の場外摂社なのだそうです。
長い歴史の中で
松尾大社、櫟谷宗像神社、そして鯉神社(亀岡)それぞれに
大堰川を巡る社のご縁があったのでしょうけど。
大井神社 by 神奈備
]]>
葛野大堰 一ノ井堰(洛西用水)
http://clarte.exblog.jp/29951048/
2024-03-12T00:00:00+09:00
2024-03-12T23:43:37+09:00
2024-03-10T16:13:48+09:00
clarte9
京都
2022/9/24撮影。
そうそうはない嵐山への旅で
今回絞りこんだテーマは、「梅」と「大堰川」
のに、まとめてみると見落としに気づくもの。
運良く在庫から拾い出せました。
古墳発生地である奈良盆地に隣接する京都だから、早くから古墳は営まれている。それらは盆地周辺の丘陵の底部に、四世紀初め頃から造られ始めた。(中略)奇妙なことにそのうちの嵯峨野グループだけは五世紀終り頃、つまり他の地域より二百年近く遅れて古墳が造られ始める。
「野」とは等高線が一段高い、水がかりが悪く稲作に適していない土地を示す。京都は、北側が高い地形だから、北野(京都市上京区)、紫野、平野(ともに北区)といった「野」のつく地名は北部に多いが、いずれも水を供給しにくい場所だ。嵯峨野もそういう環境だったが、五世紀終り頃に急に古墳が造られる。つまり、この頃に水利が整備されて、稲作という生産性のきわめて高い産業が行われるようになり、(中略)
そうなった原因ははっきりしていて、渡来人秦氏たちの土地の開発によるものだった。
井上満郎著「お稲荷さんの正体」洋泉社刊より
この波の下には、古代の人の智慧と苦労が眠っている。
葛野大堰 水利遺産探訪― 古代 の桂 川―桂 川 「一 の 井 堰 」(2) by (独)農 業工学研究所 松 本 精 一
]]>
一ノ井堰碑
http://clarte.exblog.jp/29946770/
2024-03-11T00:00:00+09:00
2024-03-11T16:40:57+09:00
2024-03-09T11:30:50+09:00
clarte9
京都
一ノ井堰碑
2024/2/24 撮影。
碑のそばに、保津川下りの舟揚げの場所がありました。
クレーンの向こう、クルマが渡っているの渡月小橋。
2022/9/23撮影。EF100mm F2 USM
「船頭だより」(by京都・亀岡保津川下り) によると、
保津川下りの舟は、高瀬舟なのだそうです。
2022/9/24撮影。EF100mm F2 USM
木製かFRPなのかは、私ではわかりません。
]]>
北野天満宮
http://clarte.exblog.jp/29944106/
2024-03-10T00:00:00+09:00
2024-03-10T00:05:14+09:00
2024-03-08T10:43:39+09:00
clarte9
京都
2024/2/24 撮影。
]]>
西陣の碑
http://clarte.exblog.jp/29944247/
2024-03-09T00:00:00+09:00
2024-03-09T01:24:25+09:00
2024-03-08T11:44:06+09:00
clarte9
京都
2024/2/24 撮影。
竹田駅から北野天満宮までの経路を探していたら、
徒歩のコースを見つけました
今出川駅~北野天満宮MAP
地下鉄今出川駅を上り、同志社キャンパスをみて、
今出川通りを進みます。
途中、「白峯神宮」のまえを通ったので、ご挨拶。
雨月の「白峰」のイメージが強かったので、
蹴鞠の神様に祀られてるとは思いもよりませんでした。
左手に西陣会館、右手に鶴屋吉信をみながら
ようやく西陣の碑にたどり着きました。
西陣というと条件反射で帯、と考えてしまいますが
応仁の乱で西軍の陣が布かれたことに由来するのですよね。
後ろに立つ建物は、京都市考古資料館。
このときは知らなかったのですが、後日竹の資料館を訪ねたとき
地下鉄烏丸線工事の際に出土した仏像のうち、
安倍晴明マークのついた一体が保管されていると教えていただきました。
禁裏道場蹟碑、般舟院陵
上七軒を過ぎて、北野天満宮北門にたどり着きました。
]]>
城南宮 しだれ梅と椿まつり -4- 85mm 椿篇
http://clarte.exblog.jp/29936025/
2024-03-08T00:00:00+09:00
2024-03-08T00:04:40+09:00
2024-03-06T13:28:44+09:00
clarte9
京都
2024/2/24 撮影。
]]>
城南宮 しだれ梅と椿まつり -3- 135mm 椿篇
http://clarte.exblog.jp/29936808/
2024-03-07T00:00:00+09:00
2024-03-07T10:17:29+09:00
2024-03-06T16:15:26+09:00
clarte9
京都
2024/2/24 撮影。
]]>
城南宮 しだれ梅と椿まつり -2- 135mm 望遠
http://clarte.exblog.jp/29932057/
2024-03-06T00:00:00+09:00
2024-03-06T00:04:11+09:00
2024-03-05T14:34:15+09:00
clarte9
京都
2024/2/24 撮影。
見頃を迎え、前日と翌日は雨予報の土曜、ついでに連休中日となれば
混雑するのも仕方がない。
梅は何度か撮りに行ったけれど
難しいという感想しかなく
桜は100で撮ったけど、梅なら135だろうと、重いほうを持参。
ないと、撮れないものね。
で。
神苑のしだれ梅は別格だった。
魅了する淡江。
体力はついていけず、渇仰だけが残った。
]]>
城南宮 しだれ梅と椿まつり -1- 85mm
http://clarte.exblog.jp/29931837/
2024-03-05T13:01:00+09:00
2024-03-05T19:18:13+09:00
2024-03-05T13:01:47+09:00
clarte9
京都
2024/2/24撮影。
地下鉄竹田駅を降り、東の鳥居に到着したのは9:33。(9時開園)
拝観料1,000円を支払って、神苑の入り口に向かったまではよかったのですが・・・・
「春の山」付近はすでに満杯の人、人、人。。。。
「おすすみください」のアナウンスは続けど
もう身動きもならず。
諦めて隙間からのぞいた画像です。
事前に調べて、準備した広角もついに出せずじまい。
]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/