遊行寺一つ火 2013
遊行寺橋をわたり、総門から入ります。
一つ火別時念仏会の告知が。
境内の銀杏が黄葉していました。
暮れなずむ藤沢の市街。 ゆっくりと時を待ちます。
本堂前の硝子戸から中を。
左に白く見えるのは、後燈。 後灯役が上ってお勤めをします。
入場しました。
右奥、掛け軸の下にみえているのが大光燈。 報土役が受け持ちます。
ことしお勤めされたのは、
報土役 岩手県久慈市 慈光寺副住職 高谷大悟
後灯役 宮城県美里町 光国寺教師 佐々木勝範
どちらも東北の方ですね。
柱その他にさえぎられて ほとんどみることはできませんでしたが、
報土役がろうそくをとり、火箸ですっと火をつまむ瞬間。
あたかも時がとまるかのようです。
手前の、丸ぐけを結ってあるようなのが十二光灯。
阿弥陀の十二の別名から十二光仏を現しています。
その後ろにたすきがけの信徒の代表の方が入場着席します。
5時半から式の由来、意味などについての講義を受け、6時から念仏が始まりました。
7時を十五分ほどまわって30分の休憩に入ります。
この間、堂内で甘酒がふるまわれました。
あたたかくて、おいしかったですよ。
さきほどとは違って、燈明皿に火が入っています。
休憩の間も、お勤めをされている若い僧。
再入場後、お上人からお話がありました。
ことし11回目、お年はなんと94歳。
とてもとても、そんなとは思えない大きな張りのあるお声でした。
戦争で生死の境をさまよい、ようやく眼があいたとき、ああ一つ火と同じと得心されたと話されました。
消えることをおそれてはいけない。
よみがえることを信じるのがだいじだと。
そんなふうに、わたしは受け取りました。
なんどでも、なんどでも消えて、またよみがえるのだと。
火が消えていくと、こころのなかで邪がわきます。
じぶんをみつめるどころか、つまらないことがどんどん大きくなるのです。
なんなんでしょう。
思ってきたことと、全然違うではないですか。
そうして、一瞬、まったくのくらやみが訪れます。
そして、沈黙。
ふたたび火が点いたとき、わたしの席からは何も見えないはずなのに
たしかに踊り立った火が一瞬みえました。
ともされた紙燭は つぎつぎと僧侶の手に引き継がれていきます。
ひとつの火がふたつにわかれるたび なんと劇的に明るくなることか。
式が終わった後、一列に並んで、お上人さんから直にお札を受け取ります。
うれしかったですねぇ。
伝統なのだそうですけど、それって、あまりないと思います。
若い時と違って、三時間余りの正座はかなりこたえましたけれど、
一夜明けて反芻してみると、やはりよい経験をさせていただいたと思います。
by clarte9
| 2013-11-28 11:27
| 湘南